北天満サイエンスカフェ

北天満サイエンスカフェ
北天満サイエンスカフェは、天五中崎通り商店街(おいでやす通り)で行われている、まちづくりと地域活性のための
プロジェクトです。お茶を飲む気軽さで、科学者と一般の皆さんが議論・交流する場を提供しています。


第93回 「薬の値段はどのように決まるのか? 高騰する医療費問題を考える」
先月に引き続き、今回も千里山での開催。開始時刻前に続々と参加者が来場。慌てて椅子を追加。それでも10人弱が立見となってしまいました。今回もたくさんの老若男女にお越しいただき、ありがとうございました。
さて、今回のテーマは、どこの先進国でも財政圧迫の原因となっている医療費の高騰問題。薬の値段を題材にして、企業経営の視点から、大阪市立大学経営学研究科の若手、山口祐司さんに話題提供をお願いしました。



はじめに予備知識として、日本の薬価制度を解説していただきました。日本では、基本的に医薬品は保険診療で使用されることが前提となっているので、薬価も厚生労働大臣によって決定される公定価格。他の国でも何らかの規制があるけれども、アメリカだけは自由価格。驚くべきことに、アメリカでは政府は製薬会社と薬の価格について交渉もしてはならないという法律まであるそうです。その上、新薬は知的財産権で堅く保護されるので、「自由価格」と言うのは、つまり製薬会社にとっての「自由価格」という事ですね。
その結果、アメリカでは医療費が増大し続け、対GDP比17%にも達しているそうです。アメリカの薬価は、日本の3倍、他の先進国の2倍で、アメリカにおける医療費負担膨張の主要な要因になっています。加えて、アメリカでは公的保険制度も極めて脆弱なため、ちょっとした手術でも、とんでもない負担を強いられることは有名。その惨状は、Michael Mooreが ”Sicko”という映画にしているので、ぜひご覧あれ。
ここまでは、アメリカの話だから関係ないと思いきや、実は日本の新薬の薬価算定手続きには、外国平均価格との調整の項目があり、高いアメリカの価格に引きずられる。さらにTPPで、アメリカでの知的所有権がそのまま持ち込まれると、日本の薬価もアメリカ並みになる危険が。



このような環境の中で、近年巨大製薬会社はブロックバスターと呼ばれる少数の儲かる大ヒット医薬品に依存する傾向を強めてきました。ブロックバスターとは、もともと街の区画ごと破壊するような大きな爆弾のことで、映画の大ヒット興業作品などに使われてきました。ブロックバスター医薬品は、特許期間の間は独占的に販売できるので、巨大な収益を上げることができるのですが、特許が切れるとすぐに他社も参入するので価格が下がり、利益率は普通の製造業並みに下がってしまう。巨大製薬会社は、自前で新薬を開発するだけでなく、新薬を開発する会社を買収することで、新薬を自分のものにしてしまうので、その費用も巨額に。その結果、企業の営業利益率は乱高下し、企業経営は著しく不安定化することに。
このブロックバスター医薬品の典型例として、山口さんが示したのが、最近日本でも販売されるようになったアメリカGILEAD SCIENCES社のC型肝炎の薬、ソバルディとハーボニーで、1錠の価格がなんと6万円と8万円。12週間の治療にかかる費用が673万円にもなる。アメリカではさらに高くて1000万円!これにより、GILEAD SCIENCES社の営業利益は、2014年に1兆7000億円、営業利益率は60%に跳ね上がりました。2014年の売り上げ原価率は15%。参加者からは、「そもそもC型肝炎は薬害で広かったのに、それを治癒するために、なぜそんな法外な負担を強いられなくてはならないのか」との意見が。
しかし、この経営モデルは、純粋に企業経営の観点から見ても健全でないし、すでに行き詰っていると、山口さん。確かに、国民からは反発を買うし、国民や財政の負担も限界に達しています。それならば、これに代わる医薬品開発と供給の仕組みは?カフェでは、極論と断りながら、「いっそのこと、医薬品の知的所有権を廃止してしまえば」という意見も。
今回のサイエンスカフェには、薬学部で学ぶ学生も多数参加してくれました。学生たちは、けっして薬で一儲けしてやろうと思って薬学部に進学したのではありません。純粋に人のために役立ちたいという彼らの志を叶えるために、新しい仕組みへの転換が必要になってきていると言えるのではないでしょうか。(Y. N.)

第92回 「原発災害と向き合う科学 小児甲状腺がん問題を考える」
今回のサイエンスカフェは、いつもの天五中崎通商店街から、千里山に出張しての開催となりました。東北大震災から5年が経過し、被災地域の復興にも地域差が大きくなってきました。とりわけ、福島県東部の復興は著しく遅れ、多くの被災者は未だ帰還の目途さえ立たず、原発事故が取り返しのつかない深刻な災禍をもたらしたことを思い知らされます。
福島県は、2011年から2015年までの間に、19歳未満の全福島県民約20万人を対象に、2次にわたって大規模な甲状腺検査を実施しました。良く知られているように、原発事故によって大気中に大量放出された放射性ヨウ素が、体に取り込まれ、とりわけ成長期にある小児の甲状腺がんを引き起こすことが懸念されたからです。



昨年8月、最終版ではありませんが、その検査結果が県民健康調査検討委員会から発表されました。宗川吉汪さん(生命科学)と大倉弘之さん(数学)は直ちに、2次の検査まで完了している25市町村分の調査結果について統計分析を行い、「福島原発事故による小児甲状腺がんの多発」と題する論文を発表しました。そこで、中崎北天満サイエンスカフェは、早速今回の話題提供者として、お二人をお呼びすることにしました。なお、宗川さんと大倉さんの論文は、日本科学者会議京都支部のホームページでも閲覧できます。
実は、福島原発事故による放射性物質の大量飛散が実際に健康被害をもたらしているかどうかについては、今なお専門家の間でも大きく見解が分かれています。また、そもそもがんの発症は確率的で、個人によって感受率も異なるので、個別のがんについて、労災基準を超えるようなよほど大きな被ばくでない限り、それが原発事故で放出された放射性物質によるものであると断定することは困難です。そのため、統計的な証拠が有力な手掛かりになります。福島県による一連の調査は、母数も大きくかつ受診率も高いので、最も信頼される検討資料を提供していると言えます。さらに、宗川さんが強調されているように「ベクレルにもシーベルトにも依らない」分析によって、生体内のがん発症機構からのアプローチとは完全に独立な、疫学的検討を可能にしていることも重要です。



統計分析は、対象から抽出された限られた数のデータを基に、対象が持っているはずの分布を再構築(帰納)するプロセスです。統計分析の数学的手続きは、誰がやっても同じなのですが、常に一定の仮説(前提)の下に、それが行われているということが大事です。つまり、前提としている仮説が覆れば、全く異なる結論に至ることもあるのです。宗川さんと大倉さんの結論「原発事故によって小児甲状腺がんが多発している」も、幾つかの「大胆な仮説」を前提としています。サイエンスカフェの参加者は、数学が得意の人ばかりではありません。しかし、数学の詳細な手続きが分からなくても、どういう仮説に基づいているかはきちんと理解することができます。
しばしば自分の気に入る結論だけを聞いて納得したいのが庶民の心情ですが、専門家の間でも見解が分かれている問題では、それでは結局何の役にも立ちません。市民にとって、結論はどうあれ、むしろそれが導出されるプロセスや前提を理解することの方がとても大事なのです。サイエンスカフェは、その機会を提供しています。



さて、宗川さんと大倉さんの「大胆な仮説」とは、①無作為抽出である、②年齢分布が一様である、③地域や年齢・性別などによって発症確率の偏りがない等です。例えば、調査対象が人間でなく、ネズミだったら、ネズミには受診する・しないの選択肢はないので、無作為抽出であるという前提は正しいのですが、人間はそうはいきません。しかし、だからと言って宗川さんと大倉さんの結論がでたらめであると言ってしまうのも正しくありません。研究者が観測結果を初めて手にしたときに、最も簡単な仮定を前提に分析して、まず第0次近似としての結論を得るというは、実際研究者なら誰もが実行する正当な手続きなのです。
今回の統計分析については、宗川さんと大倉さんの結論に反して、もし「原発事故によって小児甲状腺がんが増えていない」という結論を出すとするならば、さらにどのような仮定を導入すればよいのかを検討し、その仮説の妥当性を評価することによって、より正しい結論に近づいて行くでしょう。宗川さんと大倉さんの論文は、そのきっかけを与えていると思われます。中崎北天満サイエンスカフェも研究者によるこれからの議論に注目していきたいと思います。(Y. N.)

…(続き)