北天満サイエンスカフェ
北天満サイエンスカフェは、天五中崎通り商店街(おいでやす通り)で行われている、まちづくりと地域活性のための
プロジェクトです。お茶を飲む気軽さで、科学者と一般の皆さんが議論・交流する場を提供しています。


第107回 113番元素ニホニウムの合成と超重元素の化学
天気にも恵まれ、春らしい日となった4月23日。天五中崎通商店街に現れたサイエンスカフェには広い世代の老若男女3 0人が集まりました。道行く人々も、何だろうと興味深そうに立ち止まります。テーマは113番元素ニホニウム。理化学研究所でニホニウムの発見にも参加した笠松良崇さんに話題提供していただきました。



サイエンスには二つの種類があります。応用科学と純粋科学です。応用科学(工学)はロボットなどでイメージできるように実際に人の役に立つものを作ることです。一方、純粋科学は人類の知識を増やすことです。これは教科書になります。科学はなかなか身近には感じることはできませんが、今や私たちの生活は様々の科学的発見の上に成り立っています。市民に科学研究の意味をもっと理解してもらいたい、と笠松さんは語ります。

1869年、ロシアのメンデレエフが元素を並べ、周期表を作成しました。これにより、未知元素を予測できるようになりました。メンデレエフ以来、未確認の原子番号の、存在するに違いない原子を確認すること。これを新元素発見と呼びます。天然に見つからない元素は人工合成によって誕生します。今は元素発見競争の時代です。

そもそも元素を発見するどうなるのでしょうか?それが意味するのは人類の知識を増やすことです。今は何の役に立つかわからなくても、何百年後の未来を変えるかもしれません。限りない可能性が秘められているのです。しかし、基礎研究の財政は厳しい現実にあります。加速器をはじめとする設備代、電気代、人件費などの多くのコストがかかってしまうからです。それにも関わらず、国から与えられる予算は減少の一途を辿っています。特に地方の国公立大学ではせっかく理学部があるのに満足に研究することが難しい状況です。このことも科学研究を市民に理解してもらいたい理由の一つとなっています。



では、原子とは?それは陽子と中性子からなる原子核の周りを電子がとりまく構造をしています。大きさの比を例えると大阪の中心にりんごが1つ、つまり原子核があり、その周りを大阪環状線くらいの半径で電子が回っているイメージです。笠松さんのわかりやすい例えに参加者も納得。

現代の技術では加速器を使えば人工的に異なる元素を作ることができます。ですから原理的には高価な金も作ることができるのです。錬金術はもはや空想ではありません。しかし、現実はそう甘くはありません。その電気代が金の値段よりも高くついてしまう上、うまく金を合成する確率は低いのです。

日本の元素発見競争には悔しい歴史があります。1908年、東北大学の小川正孝は、原子番号43の元素としてニッポニウムNpを発見したと発表。しかし、実際には、それは後に発見された同族元素、75番のレニウムReだったのです。ニッポニウムは幻の発見となってしまいました。そして、元素記号Npは原子番号92番のウランから合成された93番の元素ネプツニウムの記号になりました。ですからニホニウムの発見はニッポニウムの逆襲とも言える、と笠松さんは熱弁します。

理化学研究所の森田浩介さんたちは2004年、30番元素亜鉛原子と83番元素ビスマス原子を衝突させることで、113番目の元素を1原子合成することに成功。翌年には、2原子目の合成に成功。ところが、2個目から3個目の合成には、なんと7年もかかりました。研究グループはその間何度も諦めかけたそうです。しかし、合成された新元素が、崩壊して既知の元素になることを確認するという最も厳しいチェックを成功させ、ついに新元素発見と認められたのです。その結果、森田さんたちに新元素の命名権があたえられ、113番目の元素はニホニウムと名付けられました。

その後も、超重元素の化学的性質を調べる最先端の研究などの話題が続きました。お話が終わると参加者の方々から感想や質問が飛び交いました。例えば原子番号200、300の元素は存在しないのかという質問です。笠松さんによると、現在の研究方法では検証が難しい、でも大きな突破口となる技術革新があった場合には可能性があるかもしれないとのことでした。また、元素を発見したらそれが特許のようになり日本にお金が入ってくることはないのかという質問もありました。

研究者の情熱を共有し、市民の素朴な質問や意見を研究者にぶつけることができるのも、サイエンスカフェの魅力です。次回も皆様のご来場をお待ちしております。 (C. I.)

第105回 気候変動枠組み条約 パリ協定がめざすもの
昨年11月「気候変動枠組み条約パリ協定」が発効しました。パリ協定は、地球温暖化によって進行しつつある様々な影響を最小限に食い止めるために、すべての国が一致団結して必要な対策をとることに合意し、その具体的手立ても決めた歴史的な協定と評価されています。ところが、直後に誕生したトランプ政権が、米国の「気候行動計画」を破棄すると表明したことから、予想されていたこととは言え、パリ協定は乗り越えて行かねばならない課題が山積していることも明らかとなった船出となりました。

話題提供者の早川光俊さんの本職は弁護士です。西淀川区の大気汚染公害や、水俣病などの公害訴訟に関わってきました。その運動の中で、「地球環境と大気汚染を考える全国市民会議 」(CASA)の結成に参加。現在はCASAの専務理事を務めています。国連の気候変動枠組み条約締結国会議(COP)にもNGOの代表の一人として参加し続け、この問題では、日本における第1人者です。



早川さんが強調するのは、国連の議決は多数決ではなく「コンセンサス」、つまり全会一致が原則で、例え1国でも反対すれば成立しないということ。パリ協定は地球温暖化の進行を最小限に止めるために、すべての条約締約国に厳しい目標を課す。それでも、熟議を重ね、最終的にすべての締約国が合意に達したというのは、とても画期的、凄いことなのです。これを支えたのが、地球温暖化についての科学的根拠と各国政府に働きかける粘り強い市民の力です。

2013年から2014年に、気候変動に関する政府間パネル第5次報告書(IPCC AR5)は、「地球温暖化はもはや疑う余地がない。また、このような気候変動が、主に人間が二酸化炭素(CO2)などの温室効果ガスを過剰に放出し続けていることが原因である」ことを科学的に、説得力をもって示しました。実際に、世界平均地上気温はすでに19世紀後半以来0.85 ℃も上昇し、ここ数年は毎年最高値を更新しています。また、大気中の二酸化炭素濃度は2015年、ついに400 ppmを突破してしまいました。世界平均地上気温は大気中に蓄積された二酸化炭素の総量に比例することが明らかになっているので、このままでは、あとたったの30年足らずで、19世紀後半から+2 ℃を越えてしまいます。すでに大規模な干ばつや豪雨の被害が地球の各地で発生していますが、+2 ℃を越えると、これらがさらに頻発し、生活環境だけでなく、世界の食糧生産にも深刻な影響を与えることになります。それは世界を不安定化し、紛争も増してゆくことが懸念されます。

パリ協定は、世界平均地上気温上昇を+2 ℃を十分に下回るレベルに維持することを目的とします。そのために、各国は直ちに行動を起こさねばなりません。そして、21世紀後半には、温室効果ガスの人為的な排出量と吸収量をバランスさせることも決めました。これは温室効果ガスの排出を実質ゼロにする、つまり完全な脱炭素社会を実現するというとても高い目標なのです。それでも、達成されねばならいないことが合意されました。



スウェーデンは2045年、ヨーロッパの中では後進国であるポルトガルも2050年までに二酸化炭素排出量をゼロにすると宣言。インドや中国も深刻な大気汚染問題もあって、急速に脱炭素化を進めています。一方、世界の二酸化炭素主要排出国の1つである日本はどうなのでしょうか。日本は事もあろうに、東日本大震災を口実に2020年目標を1990年比+5.8%とするとして、世界を唖然とさせ、みごと化石賞を受賞しました。このままでは、2020年から2030年に20%、2030年から2050年までに50%以上の削減が必要になり、日本の脱炭素化はますます困難な目標になってゆきます。政府も地方行政も、リニア新幹線やら、カジノ・万博誘致に浮かれている場合ではないはずなのです。

早川さんは、NGO代表としてCOPに参加しつづけてきた経験から、「国益」やさまざまな「利害」から自由な市民や消費者こそが、この状況を変えて行くことができると強調します。アメリカにトランプ政権が出てきても、早川さんは楽観的です。ヨーロッパやアメリカには、政府の政策を後退させない市民の運動が広がり、根付いてきているそうです。日本の環境NGOも早く、日本の政策決定に影響を与えて行けるように育ってゆくことが求められます。そのためには若い世代を巻き込んでことが必要ではないかと参加者から。早川さんは、シニア世代の役割も大切としつつ、若い人たちには、先ず知ってもらうことだと答えました。北天満サイエンスカフェも、このために微力ながら貢献を続けたいと思います。

…(続き)